こんにちは、晃陽学園でお世話になりました娘の母親です。中学生の頃から芸能のお仕事が始まり学業とお仕事のスケジュールをこなして行く事がとても大変でした。それでも中学校は卒業する事が出来ましたがいよいよ進路を決めるにあたり今の状態で両立させる事が出来るのであろうか?と親子共々不安にもなりました。その頃娘のお仕事の先輩から晃陽学園のお話を頂き訪ねてみる事にしました。
初めてお会いした時の印象は、先生方がとても明るく笑顔で迎えて下さった事です。元々学校生活や学業も好きだった娘はすぐに入学を決め、しっかり卒業出来る様に頑張る!と意気揚々でした。
そして学校とお仕事との新しい生活が始まり登校した日は毎回の様に「楽しかったぁ」と言っていたのを覚えています。ですがやはりスケジュールがたて込み身体が疲れていた日もあったと思います。それでも無事に卒業する事が出来ましたのも、先生方が娘の声を聞いて下さり、娘の環境に合わせてサポートして下さったお陰です。
卒業してから何年か経ちますが、娘とあの頃の話をしました。楽しかった具体的な事柄を聞いてみたかったのです。娘の答えは「先生が話を良く聞いてくれて沢山お話したよ」と今でも心に残る思い出なのでしょう。
将来の夢、今の環境、ご自分の意思は一人一人同じではありません。家族でさえ思いに少しズレが生じます。ですが誰にでも沢山の道があります。一度訪ねてみて下さい。「なりたい自分」への道に大きなお力を貸して下さることと思います。皆様の夢が叶いますように…。
(芸能活動卒業生の保護者)
平成28年秋、彗星の如く現れた天才棋士藤井聡太君。私も同じ「新進棋士奨励会」という棋士の養成機関に所属していましたが、自分の限界を悟り20歳にして、今一度何か資格取得に挑戦!を思い立ちました。家族とも相談をして”食”に関心の深い私は「栄養士の資格取得」に目標を定めました。幸いT 短大生活科学科食物栄養専攻に社会人入試の募集があり「これは どう?」と言われ一瞬考えましたが決めました。
入試は「小論文と面接」。今の私には小論文は無理です。「母校に行ってみよう」。それからは週1回を5週続けて晃陽学園に通い先生の指導を受けました。面接の特訓指導も受けました。小論文作成には、本当に熱く指導をして頂きました。結果、晴れて合格!栄養士、その上の管理栄養士と私の将来はほぼ決まりました。
これからの世界は、コロナ禍と同じ位に「飽食と飢餓」と言う、生きるためには大変大きな問題に直面しようとしています。世界中が平等に平和に生活出来ることを願いながら私は私らしく、未知の学習に励んで行こうと思います。晃陽学園東京・吉祥寺校の先生、卒業生の私へのご指導本当に有難うございました。これからもよろしくお願い致します。
(卒業生 H・H )
小学校と中学校の大半を不登校で過ごしていた私に、母が見つけてきてくれた進学先が晃陽学園でした。毎日2、3時間外に出ることも最初は辛く、とにかく高校卒業資格を得ることだけを目標に毎日登校していました。そんな中で様々な考え方や経験を持つ友人や先生に出会えたことで、私の考えも変わりました。大学進学を目指して受験しましたが、第一希望校が不合格で意気消沈してしまいました。けれど、卒業後も先生が親身に相談に乗ってくださり、晃陽時代の友人が夢に向かって頑張っているのも影響し、もう一度挑戦しようという気持ちになりました。せっかくなら大きなことに挑戦しようと思って、留学を目指すことにしました。
今、私はアメリカの大学に入学してから1年が過ぎました。つらいこともたくさんありますが、自分を見つめ直すいい機会になっています。私が今頑張れているのは、晃陽学園で過ごした日々があったからです。
A journey of a thousand miles begins with a single step ってなんだか日本語よりポジティブな印象じゃありませんか。「千里の道も一歩から」の真意とは変わってしまうのですが、何かを成し遂げることにこだわるより、少しずつでも自分なりに歩んでいくことの大切さを学ぶことができました。
(卒業生 I・F)
「あまり」と言うより「全然」勉強をしなかった中学時代に比べ晃陽学園での三年間は本当によく勉強しました。母も「あんなに勉強したこの子は見たことがありません」と卒業してから先生と会話をしていました。晃陽学園は、私に校風が合っていたのだと思います。僕の場合、学校の課題だけでは不十分だと痛感して放課後も勉強させて欲しいと申し出て、夕方の遅い時間までマンツーマンで勉強を教えて頂きました。
進路は悩みましたが、先生方のご指導もあり東京T自動車大学校に進学しました。卒業後は、JR・私鉄各社の保線車輛の整備・検査を仕事とする会社に勤務します。高校で友人が出来るかとても心配しましたが、誰よりも先に挨拶をすることを心がけ人間関係を作る努力をした結果、卒業してから4年後の現在も連絡を取り合う大切な仲間が出来ました。
晃陽学園はとても暖かい場所であり、とても楽しい時をすごさせて頂きました。先生方には感謝の気持ちしかありません。
(卒業生 Y・K)
私が晃陽学園に入学したきっかけは高校受験の失敗でした。入学前まで通信制高校は良くも悪くも人間関係が希薄な印象がありましたが、晃陽学園は諸先生方との距離が近く相談しやすい環境でした。
晃陽学園は通学して受講することが可能なため、他生徒と交流を深めることができます。また、行事として修学旅行や遊園地に行ったことはよい思い出です。
実は高校卒業後も諸先生方と交流があります。大学の文化祭に招待したことや、大学で建築の勉強をしていたのですが、就職活動について悩んでいたところ、設計事務所に勤めている方を紹介していただいたことがあります。
現在、私は役所で建築職として勤めています。興味のあったまちづくり事業に関する仕事をしており、先生に相談してよかったと思っています。
最後になりますが、先生方は前述のとおり親身になって相談に乗ってくださいます。通信制高校に入学するにあたり何か不安を感じる方は一度相談してみてください。
(卒業生 Y・R)
20代後半から胸に何かがつかえている感情が芽生えはじめました。それは「高校中退、勉強してこなかった自分が恥ずかしい」と言う社会生活の中で感じた気持ちでした。自分なりに勉強し参考書を読んだりしても、払拭できずスッキリしない気持ちだけがずっと付きまとっていました。これを払拭するには高校に入り直すしか道はないと思い40代にして高校生に戻る決意をしました。そして仕事と勉強を両立できるこの学校を選択しました。
高校2年の夏休みに自主退学し、高校1年はクリアしていたので2年生からの再スタートです。約27年越しで高校生に戻りました。苦手な科目も学びたいと言う気持ちで入学したので素直に勉強と向き合えました。難題を解く時は正面から挑んでもわからないので様々な角度からアプローチし考えました。そして答えに辿り着いた時の達成感は嬉しかったのを思い出します。また、仕事の合間に教科書を読んだりして、16歳の頃の私には得られなかった有意義な時間を過ごせました。もう一つ重要な事に気付きました。「学ぶ」とは答えを導く為だけでなく、大いに悩み、沢山考え、その過程が非常に大事な事だとわかりました。
あっと言う間の2年間であり、素敵な時間を過ごせた事は感謝しかありません。そして卒業証書を頂いた時は、あの芽生えた感情を払拭した瞬間でした。授与の際に拍手を送って下さった先生方の笑顔は今でも忘れません。
現在50代になった私は、学ぶ形は違いますが老眼鏡を掛けながら沢山本を読んだり、好きな生物の勉強をしたりしています。これからもずっとずっと「学ぶ」姿勢は変わらず続けていきます。それは自分を構築する為のものですから。
(社会人応戦コース卒業生 M・H)
晃陽学園は本当に良い学校です。先生方は皆優しく、褒めて下さる時はとても嬉しいです。少人数だからこそ先生と接する時が多く、レポート提出期限の前などは私達も必死です。
私は石川県にある寺が実家なので、将来は自坊を守らなければならないため、寺の行事のたびに石川県に帰らなくてはなりませんでしたが、そんな時はその分、放課後に残って勉強ができました。
大学受験の時には、自分だけで調べても分からない時や困った時が何度もありました。他の事もあって忙しい中でも手続きを手伝って下さったM先生。入試の面接練習をして下さったT先生。何度も何度も小論文の添削をして下さったY先生。
こうした先生方の支えがあって志望のO大学に合格しました。先生方は、合格の通知に本当に喜んでくださいました。先生方には、受験のこと、これまでの学校での生活のこと、とても感謝しています。晃陽学園に入学して本当に良かったです。
(卒業生 K・Y)
娘は、初め全日制の芸能コースに通学していました。しかし、芸能のお仕事がとても忙しくなり、出席もままならず、何度か相談もしましたが、何の手立てもしてくださらなく、悩んだ末その高校は退学することにしました。
この先どうしようか、高校卒業資格だけは取得しておきたいといろいろ考えている時に、「晃陽学園高校」を知ることができ、通信制という形で学業も続けることができました。
在学中、益々お仕事も忙しくなっていきましたが、レポート提出だけはしっかりやらないと、と娘も頑張っていました。先生方が、丁寧に添削指導してくださったことは勿論のこと、くじけそうな時にも娘のお仕事を理解していただき、寄り添ってご指導いただけて、何とか卒業までやり遂げる事ができました。夢を追いながら、高校卒業資格を無事に取得できたのは、校長先生をはじめ先生方のおかげと、親子共々感謝しています。
今思えば、あの時に「晃陽学園高校」と出会えったことで、夢も学業もどちらも諦めずにできたのだと思います。後輩の皆さんもどちらも頑張ってやり遂げられる事を願っています。
(芸能活動卒業生の保護者)